3536  18 馬と馬頭観音

<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック>

 明知から内津峠までの県道内津川線(下街道)沿いをゆっくり歩いてみると、たくさんの石仏や石碑があることに気づくとでしよう。それらの中に、何やら怒ったような表情をした石仏がいくっかあることに気がつきます。よく見ると顔は3つあり、腕は6本か8本もあます。おまけに頭の上に馬の頭がのっていて、手に持っているのは剣でしようか。

 これは、古くから山越えの道筋でよく見る「馬頭観音」と言われるものです。日本各地に見られますが、中部地方の山地を通る街道に特に多いと言われています。それに馬頭観音が、馬が運送などで大切な働き手であったころに、山道でも特に交通の難所、馬が急死したところや葬ったところに建てられたからです。江戸時代になると、道が整備されて国内の流通が活発化し、馬が移動や荷物を運ぶ手段として使われることが多くなったのてす。そのたの馬で生計を立てていた人々が、馬の健康を願ったり、供養したりするために建立したのです。

 この地域に馬頭観音が多いということは、それだけ馬の住来が盛んだったということを示しているのでしょう。『庶民の道 下街道』(村中治彦 昭和51)には、明知には牛馬宿と言われる馬屋をもった家が街道筋にいくつもあったというエピソードが紹介されています。これらの家は謝礼を得たり、フンなどを田畑の肥料として利用したりできたので、喜んで牛馬を預かったということです。また、現在でも内津・西尾・明知に運送業者が多いのは、かつて馬車による賃稼ぎが盛んだったことを物語ってい るそうです。

 他にも、明照寺の東に1つ、安祥寺の西に1つ、西尾上のバス停留所の東に2っ、春日園の出口の左手に1つあります。

 ※後ろの3つは現在確認できない。

 

馬頭観音

内津峠を登り切り、県境を過ぎて池田に向かって歩くと下り坂になります。しばらく行くと右側に写真のような馬頭音が現れます。

明冶20年建立で、台座には「馬車荷車愛岐組」とあり、愛知県32ヵ村、岐阜県11ヵ村とも刻まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お堂(馬頭観音)

 妙見寺の山門をくぐって、すぐ左側に小さなお堂があります。よく見ると、その中に写真のような馬頭観音が祀ってあります。明治27年建立で、「東春日井勝川運送組」建立とあります。道路の拡幅工事のために現在地に移設きれたそうてす。

 

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馬頭音にもとは古代インドの音像て、 やさしい表憎の多い観音として珍しい忿怒の姿をとります。時代が下るにしたがい、馬の守護神のように思われたようてす。